~ALL ABOUT 12~
変ドラ第12回、その6
「ベロ相うらない大当たり!」
初出~小学六年生1975年11月号~
「ドラえもん」は小学一年生から小学六年生までの学年誌に毎月一話ずつ掲載されていたわけですが(初期後期は除く)、児童漫画のプロ中のプロであるF氏にしてもこれは極めて凄い仕事だと思います。
勿論どの学年に向けても全力投球で面白い作品を描いている訳ですから、一月に6話連載していると単純に考えれば週間連載や他誌平行連載を多く持つ作家の多い現在でもそんなに不思議なことではないでしょう。
ただ、学年誌の場合は読む対象年齢がかなりハッキリとしているので、掲載される学年によって(他の雑誌の時はその雑誌ごとに)ページ数やアプローチの変化がかなり具体的に違っています。
そのアプローチの部分で、F氏はキチッと対象年齢を意識したテーマや題材やストーリーテリングを使い分けているのが凄いんですね。(まあ、稀にそこら辺りを読み違えるというか、意図的にずらしているというか、そういった異形の作品が多いのも事実ですが)
小学六年生向けの話と言うのは、当然最上級生向けに描かれているわけですから、割と高度なテーマや題材が取り上げられることが多く、傑作も数多い訳です。まあ、勿論低学年向けだからと言って程度が低いとか面白くないとかが、ほとんどないのも凄いんですが。
そんな中、当時初めて読んだ小学二年生だったボクには、今回取り上げるこの話が、とても大人向けの題材と言いますか、扱っているテーマが子供心にも「ていどたかい」と思わせる作品だったわけです。
しかし、今はボクも大人の端くれ(精神年齢は全然成長していないんですが)、ある程度俯瞰した視点で、子どもの頃には漠然としか感じられなかったこの作品の「妙な味」を嫌と言うほど噛みしめられる年齢になったようです。
この話はおいおい指摘しますが、この拙ページの中でも比較的に皆さんに愛顧していただいている「白ドラ」のテイストが、嫌と言うほどたたき込まれているんです。
子どもの頃はレベルの高いテーマとか作劇法が漠然としか分からなかった程度でしたが、今回読み直してみて、あまりの「白けズム」にかなり度肝を抜かれました。
まあ、そこらも含めてみていきましょう。
お話は簡単です(簡単と書くとホントに簡単そうですが、あらすじを簡単に書くことの出来る話を描くのがどれだけ難しいかは言うまでもない事です)。
キモはこのうだつの上がらない作家「元高角三」氏に尽きるんですが、ネーミングの素晴らしさもさることながら、徹底的に当て字が狂ってるとしか思えないのが凄いです。もうちょっと凡例的な漢字を当ててもよさそうなのに、「三」を付けるだけで強引に人名化しているところが、F氏の最高な所です。
題材としても個人的にバイブル的な話なのですが、やはり彼のネーミングが子供心に大ヒットだったんでしょうね。
大体、名前が「かくぞう」!と決意むんむんなのが大笑いですよ。
ゴロも音も実に素晴らしいし。
しかも、登場コマからして、このセリフですもん
「人間の未来がわかるなら、だれも苦労しないよ。」
厭世観バリバリと言うか、リアリストと言うか、舶来崇拝主義と言うか(これは「美味しんぼ」か)、ひるひなかの子どもが遊ぶ空き地に、和服に草履姿の無精ひげが座り込んでこんなコト呟いていたら、今なら警官がとんできますね。公園デビュー不可。
まあ、このセリフに閃いたのび太が、先のいたずらを思いついてタイムマシンで未来を見に行く訳ですが、この時のドラえもんが先ずやってくれます。それぞコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑白ドラファンの人には説明するだけ野暮ですが、このドラの独り毒舌(まあ、軽い方ですけどね)に加えて、やはりポイントは直立の佇まいと絶対無の表情。白ポイントってのはこなれてくると簡単に作中に発見できることが近年実証されてきましたが(誰が証明したかはさておき)、とにかくこの話は後でも分かるとおり全編そればっかりです。まあ堪能して下さい。
そんな白ドラに見送られて最初は意気揚々と(ドラの頭を踏み台にして)戻ってきたのび太は、早速スネ夫たちのベロ相を占う訳ですが、あんなものに見送られて負けてられるかとばかりの白のびブリを連発。
とにかく連発。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑意気揚々としていた表情とは裏腹に、大成功したはずののび太のこの白けブリ。子どもの頃からこの場面での白けブリは気になって仕方がなかった。ホント淡々と占いを立証していく(ただ言ってるだけですが)のび太の白けズムは異常の極致。
またこの場面では、ジャイアンにまで白電波があってしまったようで、コレもん
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑感情無さ過ぎ。「水!!」と言う書き文字に反比例する様などっちらけたジャイアンの表情が素晴らしい。ポージングもかなり驚いているのにも関わらず、だ。しかもしずちゃんに水をぶっかけての表情の白け方まで念の入りようが凄い。しかも「まちがえた。」って、なんだ、そりゃ。スネ夫の狂乱ブリが痛々しいほど空回りだ。
スネ夫では、この場面の最初のコレもかなり美味しい。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑どう考えてもタバコを受け入れているとしか思えない襟首の加減が最高です。線からすると回転して入っているようですが、あれだけ突き出されて招かれれば物理法則無視して入りますよ。
ところで、この場面パラドックス的にひっかかるのは、のび太が未来を見に行った時に、見に行った結果であるこの場面を、まだ行動を起こしていないのび太が見ている訳なんですよね。ただ、その場面が描かれていないところがみそで、恐らく一話目でも言っているように「ゴールは必ず一緒理論」で、似て非成る災難が三人に襲ったんでしょうね。それをのび太が観察者としての立場を放棄して介入しても同様の結果が出たと。
まあ、そんな事はどうでもいいんですが、ページをめくるやいきなりこのコマ。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑やばいって。さすがにいきなり面前に舌を出されたら、白のびも困った表情を浮かべてます。ただ、この表情とポーズは、コマの断ち切り方と合わせてちょっと珍しい印象です。ただ、いきなり舌だしは○チガイですよ。元高氏。
まあ、のび太も仲間意識があるんでしょうか(色んな意味で)最初は笑って相手をするんですが、ただならない元高氏の勢いに逃げ出そうとしますが、コレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑このセリフと相まって、続けて語る元高氏の葛藤が子供心に「ていど」高かったんですよね。今読んでもかなり程度高いんですけど。ただ、泣きながら無精ひげが子どもの襟首掴んでは実刑もんですけどね。
それにしてもいいなあ
「ぼくをまよいから、すくいだしてくれっ。」
って、実感こもりすぎていて。はははは。
まあ、幾ら天才F氏でも謙虚な心を失わず努力を惜しまずなのは「まんが道」でも嫌になるほど描かれているんですが、成功してからこそ描ける若き日のほろ苦い想い出って感じもしますけどね。
そして、元高氏に幽閉されたのび太(知らない人の家には行ってはいけません)、その悩み(愚痴)を聞かされる訳ですが、またしてもココで信じられないようなコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑まるで興味なし! まあ、いきなり連れてこられて大の大人にこんな愚痴聞かされても白けるしかないのはわかりますが、この投げやり加減は殆ど実弾攻撃状態ですな。「ふうん…」ってセリフも100%完璧。
元高氏の文机をよく見ると分かりますが、色は黒じゃないけど満賀と才野が大手塚先生から譲って貰った机と同型です。こういう所でにじみ出る実感が良いんですな。
ただ、のび太なんて知ったこっちゃ無いわけですから、怒濤のコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑白のび三連発! 同ポジで三連発はF氏の良くやるパターンですが、2コマ目で若干表情をたたえつつも、直ぐにまた絶対無の表情に揺り返すのび太が実に素晴らしい。もう「知るか」としか喩えようのない絶品の雰囲気。
先にも書いたように、こういう才能の有無や人生の岐路や創作意欲への迷いの部分がF氏の記憶の断片であり、普遍的なように見えて実は「本当は才能があるけど生活のために云々」と言うポジティブな悩みなんですよね。
つまり「認められるか、られないか」と言う前向きな次元。
現実的には「才能があるか、ないか」と言う実際的な次元が圧倒的だと思うんですけどね。
「才能」=「力」のある人間ってのはやっぱり表舞台に出てくるモンだと思いますよ。ただ、ぐたぐた(この時点での)元高氏のように悩んでいる時には女神は振り向かないだけです。
しかし、こののび太の白け具合にはちゃんと意味があってですね、この時点でも元高氏の悩みが全然実感できていないわけです(そりゃそうだが)、後にもセリフで「きのどくなんだよ」と、ただただ困っている事だけが分かるだけで、実際には介入できないし、しないんですね。こういう部分の切り分け方と、キャラクターのポジションの正確さは凄いと思いますよ。
それもこれも元高氏がココまで暴走するからですが
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑完全に常軌を逸してます。ここら辺りも文学青年像をF氏的に異色節のオブラードで包んでカリカチュアライズしてんでしょうかね。ただ、個人的に実際「創作家」を目指す人間のデンジャーさを目の当たりにしてきただけに、個人的にはただならないリアリティを感じはしますがね。
にしても、
「さあ!」「さあ!」
は激マズですな。しかも舌出してのシュールさもさすがとしか言いようがないパンチ力。
まったく「ベロ相うらない」なんて、発想からしてそもそも面白すぎるもの。
F氏はロマンチストではありながら、極めて現実主義な人だったようですから(ネッシーも信じてなかったそうで)、宗教や占いといった物に対してのアプローチが毎度毎度笑えるんですよね。ズバッとギャグに転化している所も大大大好きです。
書き忘れましたが、ディティールのリアリティという点でコレも外せない。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑何書いてるのか解読したいですが、あのペンで修正線を殴り書きしている感じが文学青年って感じがして極めて旨味のある描写です。
この原稿も伏線なんですけどね実は。
まあ、さすがに放ってはおけないのび太はドラえもんを連れて未来を見に行くんですが、この時のドラえもんの微妙な他人事感も良いんですよ。
曰く
「作家になっててくれればいいがな。」
ね、他人事でしょ。「いいがな」だってさ。
そして、ドラえもんも本家本元のコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑気合いねええ。のび太はさすがに実際にあって居るので他人事じゃないんでしょうが、このドラときたら得意のスタンダード白ポーズで非常に笑える。こういうF氏の感覚がとにかくこの話は連発です。「必要がなければ無表情直立でいいじゃん」感がなにより素晴らしい。
後での対比表現で使われるこのおばさんとの会話ですが、のび太の演出上極めて素晴らしい「セリフ」が良いんですよね。
「作家の家は」と言う訊き方にF氏の優れた演出力を味わえますね。
そして案の定コレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑セリフが素晴らしい! このチリ紙よりインスタントラーメンと言うあまりにもリアルなセリフに、大爆笑しながらも一発で未来の元高氏の状態が完璧に分かる。しかも、あの原稿が計りに!! ああああ。
微妙に白髪混じりなのもいいんですよねえ。
そして、ドラ曰く
「だめだこりゃ。」
うわああああ。一刀両断です。さすがドラえもん。
続けて本人の前じゃないからってコレ
「今のうちにあきらめたほうが、本人のためだな。」
あらああああ。とんでもない事をさらっと言ってます。でも、F氏も言われたんでしょうねえ。まあ、創作家を目指す物は必ず一度は言われるセリフですよ。
それにしても夢も希望もないなあ。まあ、だからこの頃のドラえもん好きなんですけどね。二人ともクールで。はははは。
そして、前にも書いた様に、二人のポジションがしっかりしているから、悩むところも「いいづらい」と言う所になる。
ここらもリアリティありすぎ。はははは。
門前で二人して「どっちが言うか」言い争う姿に、大手塚先生訪問時の才野&満賀の争いを垣間見れますが、「やあ、どうもどうも」と間も悪く笑顔で登場した元高氏の痛さと来たら…
絶対モデルは森安氏と観た!
まあ、それは良いとして、あまりにも辛いこのコマ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑家のボロボロさをこの1コマの背景に執拗に描き込む事で心情表現をしている完璧な演出力。しかも、のび&ドラ(特にドラ)のいたたまれ無さが最高。二人とも正座してて、しかもドラえもんはチラっとのび太を横目で気にしている辺りに驚愕の緻密さを感じますね。ホントこの話のドラって「なんでここにいんだろ?」感が強くて客観的に笑えます。道具でなんとか出来るモンじゃないですからね。
余談ですが、このコマの元高氏の鼻の下にヒットラーみたいな髭がなんで描いてあるんだろうと子どもの頃不思議だったんですが、あれって背景の柱なんですね。
しかし、あの下顎の突き出し方はまさに……
そして、続けざまに小学生にも痛感できるコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑「まんが道」でも出てくる「壁に題す」の有名な一節。子どもの頃は意味が分からなかったんですが、これってホントに良い言葉ですよね。それにしても泣き笑いの笑い声の乾いた感じが実に哀しい。さすが擬音の魔術師。
この笑い声を背にして元高氏宅を去る二人のコマも終盤の感動への布石
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑この時の後ろ手な感じも、のび&ドラの持ち味である変な子ども気なさで高ポイントです。
やっとここで、二人もおぼろげながらに元高氏の辛さや哀しさが理解できるんですよね。読者との視点の共有が感情レベルでキチンと計算されているのがレベル高い。
なので、二人はやっと他人事ではなく、自主的に元高氏の行く末を確かめに再び未来に行くわけです。ページ数があるからだとも思うんですが、絶品の構成ですよ。
作家ではなく大もうけを成しているかどうかを確認する為ののび太のこのセリフが素晴らしい。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑呆気ないほど更につれない返事が、不安感バッチリであるだけでなく、案の定感がストレートに繋がる。ただ、ここで注目なのはドラえもんが前回とは違って表情をたたえている点ですね。かなりちゃんとしてますな。改めて思うに。
白けズムが初めて有効に活用されているんじゃないでしょか。面白くないけど。ははははは。
そして、インスタントラーメンどころじゃない直撃モノのこの描写
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑はははははは。緻密だなああ。ガラス割れてるし。集中線まで加わっての強調が爆笑。ドラえもんの適切な補足「前よりひどくなってる。」が何とも印象深し。
で、改めて5年後の森安…じゃない元高氏に対面する二人。
この場面の元高氏の疑問が何気なく効果的なんですね。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑ちゃんと元高氏がタイムマシンなどのお約束ごとに縛られずに、一般性のある疑問を抱くココが好きなんですね。世界観がちゃんとしていて。まあのび太の「それより」ってオールマイティなセリフも輪をかけてカッコイイですが。
ここからの元高氏の言葉は本当に素晴らしくてですね。うらないなんか関係ない、世の中の認知なんか関係ないと言う、理想的な境地に達して居るんですね。それも占いに振り回されて、子ども相手にベロ出してまでご乱心した甲斐があったというものですが。
でも、折角良いこと云っているのに、外さない二人
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑のび太はOKです。聞き入っていると言う表情をしている。ただ、ドラは、どうなの?ここで「3」口ですか。
前後のコマが背景ベタ処理でセリフへの思い入れと相まって印象深くて良い演出です。
ドラが実はまだ理解できていないのが続いてのコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑ドラえもんの目的も実はのび太の将来を修正する事だった訳ですが、どうも「帰ってきた」からこっち、ドラえもん諦めてんじゃないかなってな節があるんですよね。はははは。まあ頼らず自分でってのは根っこにあるんでしょうけども、初期ドラの過保護とも言える暴走的介護精神からは考えられないほどの、未来への修正に対する無関心さがいいですな。
それにしても元高氏の
「ぼくはぼくの小説がすぐれていることを知っている」
って最高に良いセリフだ。
F氏ってエスパー魔美にもちょこちょこ出てきますが、自分の考え方が普段前面に出てこないだけにちょっと出てくると、毎度含蓄のある言葉ですよ。
そして、感動の大団円。
元高氏の小説が文学賞を受賞する。「成せば成る」を見事に描ききったこの感動譚が見事に盛り上がるこのコマですが、注目すべきは勿論
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑あくまで! しかも二人で「3」口ですか。この場面でこの白けブリは絶句もんですね。信じて信じて疑わなかった親に、実は「わたしはあなたのお姉さんなの」と告白されるぐらいのハズされ方だ。
まあ、まともに感動できるのは次のコマであり、先のコマとの対比になるコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑完璧ですよ。かなり完成度高いです。並べるとなおよく分かるので並べましょう。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑表情の違いと、哀しい笑い声が一転して仕事の依頼のセリフに変わっていますね。
とまあ、ここで終われば感動編に収められても良い話なんですが、そうは問屋が卸さず、キチンとF氏流のオチがつくんですよね。
それがコレ
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑後ろ手に大いばりで闊歩する二人ですが、大いなる白ヅラでジャイアンを迎え撃ち。特にドラが凄い。振り向きもせず。
ジャイアンの「うらないの名人」って言い回しも実にらしくていいですね。
そしてとどめ。
『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻(小学館)より引用
↑徹頭徹尾白けズムが支配する一編ですが、このダブル白ヅラは痛快ですらありますね。しかもジャイアン舌出しているし。「何やってんだコイツ」どころじゃないくてですね、この二人がダブルで揃うと問答無用の絶対無な感覚が強く作用するんですよね。
秘密は恐らくあの口の曲がり方だと思うんですよね。
他の人が幾ら描いても、どんなにF氏の画を真似ても、この白ヅラだけは描けた人を見たことがないですよ。そういう意味でもF氏でなければ描けない傑作でもあるわけですね。
F氏の漫画って特にドラえもんもそうだと思うんですが、色んな意味で孤高だと思うんですよ。殆どの漫画家の人に大なり小なり影響を与えているとは思うんですが、実際にその影響の恩恵を僅かでも受けられるってのは見事な作劇法だったり、短編作家としての天才的な技量だったり、児童漫画としての描写の取捨選択の感覚だったりという部分に過ぎないと思うんですよ。それぐらい読めば読むほど
「他にないよなあ」
と思わざるを得ないほど個性的ですよね。
白けズムとかそういうのはF氏の意図ではないでしょうし、穿った見方なのかも知れないですけど、やはりこういう個性的な部分って凄くF氏の作品の魅力に一つだと思うんですよね。
まあ、しかし単純に面白い話を描きますよホントF氏は。しかも爽やかな感動まで!
いいなあ、ドラえもん。
【追記】
大人になればなるほど「元高角三」への感情移入が半端じゃないですね。「ベロ相うらない」というシュール極まるもネタからして、どう考えてもナンセンス系に転がりそうなところを、「創作者」の普遍的な懊悩と到達するゴールを描ききっているドラマになっているところが普通じゃないです。F先生には「フニャコフニャ夫」という「成功したまんが家」というキャラもいますが、それとは打って変わって「リアリティのみで成り立っている」このキャラの説得力。やはり自身が「創作者」として人生すべてを賭けている人ですから、こういうモチーフでウソは描けないですよね。
とはいえ、ここでも大きく取り上げている「白ドラ」ブリですよねえ。改めて「この時F先生になにがあった?!」と思うより他ない絶品の白けブリが連発してますもんね。大笑いするのみ。