日上への道
~Way of the Higami~
立山新聞ぼうや僻み伝
初登場の巻
中央公論社愛蔵版「まんが道」の冒頭に寄せられたA先生のコメントにこうある。
「登場人物のほとんどを、トゲトゲしさのない思いやりのある人間性の豊かなキャラクターとして描いたつもりです。」
これが真っ赤な嘘であることを証明する登場人物がこのコーナーでとりあげる、日上というキャラである。
まあ、「ほとんど」とかかれているし、「人間性の豊かな」と言う文面からも、彼があまりにも生々しく極化した僻み行動を体現する例外的なキャラとして設定されているのかもしれない。
この日上と言う剛速球なネーミングからも分かるように、彼はとにかく、立山新聞社へ入社した満賀に対してありとあらゆる僻み行為を見せてくれる。
このコーナーではそんな「人間性豊かな」彼を、たっぷりとお送りしたい。
先ず彼の初登場は満賀が社長面接に立山新聞社へ初めて訪れる場面である。
もうしょっぱなからトバしてくれます。
先ず初登場のコマからしてコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻342ページより
↑抜かりなく性悪な面構えです。こういう顔を描かせたらA先生の右に出る人はいないんじゃないでしょうか。つり目にそばかす、目の下の線。ごますり屋を端的に表す歪んだ口元。パーフェクトです。
新聞社の喧噪にのっけから呑まれて、ビグビグしている満賀に、容赦なくプレッシャーをかけまくる編集者(こいつらもかなり「人間性豊か」だが)に呼ばれて、颯爽と登場する日上は、これまたまくし立てるように満賀に詰問口調。
一発で
友達になりたくない
度が跳ね上がる。で、実際にいるんだよなこういうヤツ。
満賀がやっとの思いで、社長であるおじさんの名前を出すや、
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻343ページより
↑あらああ、社長の名前知らないですよ、この人。もうこの時点で社会人失格。
で、さっきの編集者が助け船をだして事なきを得るわけですが、もうこの展開がすでに、日上にしてみたら面白くない。満賀との確執の火種は既にたっぷりと仕込まれているわけですな。
まあ、こういう手合いの人間は勝手に僻んでいるので、相手が従順な年下か、年上の先輩でない限り、誰にしたいしてもこんなもんですが。
そして、「ぼうや」と呼ばれて満賀を社長室に案内する事になる日上。要するに雑用係な訳ですが、いきなり大ゴマで怒ってる日上が笑えます。
感情が直球過ぎる。
さあ、僻み節の始まり。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻345ページより
↑背景が僻んでます。ははははは。自分で質問しておいて、いきなり僻んでるのも、たち悪いですねえ。要するに日上は満賀が縁故で入社するのが気にくわない訳です。自分には縁故がなくて入社が大変だったからという理屈。
縁故、縁故、縁故。
気持ちは分かるけど、だからといって日上に対しての感情移入を、読者に一切許さないところはA先生の粘着質な演出が冴えますね。
日上ポイントとしては、タバコをもみ消してから上司に対しての
「さぼってませんよ」
と言うコマの微妙な眉毛の描き方にも注目して欲しい。
ちゃんとその上司にも満賀が「社長のオイ」である=「縁故ですよ」と言い捨てる辺りも、周到で良い。
ホントいるんだよなあこういうヤツ。
で、どこかにも書いた「似顔」面接で、テヘって合格した満賀。まあ、こりゃ日上でなくても
「えええええ??!!」
って思わざるを得ないようなあっけない面接だ。もうちょっと常識問題とか筆記試験とかしやがれって感じです。どう考えても縁故じゃないっすかあ。
まあ、それは措いておいて。
終わるやいなや、待ちかまえていたように日上が例の顔でお出迎え。
そこで、
「試験なんかかたちだけだったろ」
と、ズバリ図星をついてくる。こういうやつはこういうところで非常に冴えているのも特徴でムカつく。
そこで満賀も反抗して似顔試験の事を言ってギャフンと云わせる。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻354ページより
↑してやったり! と言う集中線がイカしますねえ。でも、まんがを描いて合格ってのもやっぱり妙だろうよ。「ま、まんが!?」と度肝抜かれている日上が笑えます。
でも、似顔ぐらい知ってろよって感じですけどね。
この勝負一応満賀の勝ちで終わりですが、この日上が後々満賀の社会人生活にピリっと辛いアクセントをつける役割になる訳です。
と言うわけで、つづく。
本番開始
縁故で新聞社へ入社を果たした我らが満賀。
この初出勤のエピソードは4話にも渡って描かれるのですが、社会人の経験がある人なら誰でも経験があるように(勿論、進学先への初登校も似たようなモノですが)、新しい環境へ一番下の立場で入るわけですから、ありとあらゆる緊張感と出来事がある訳です。自身の体験を重んじるA先生が「ある意味」こんな美味しいエピソードをないがしろにするわけがありません。
「まんが道」の作劇法の一番効果的で魅力的な部分は、満賀と言うキャラクターへ感情移入させることがすこぶる巧い所です。
その方法論はずばり、「ああ、分かる分かる」「ああ、その気持ち分かる」の畳かけ。
満賀の内面描写や言動には嘘偽りがほとんどなく、異常に深々と読む人の心に共感を呼ぶ訳です。
そんな共感を呼ぶエピソードの中でも、この初出勤譚は胸がかきむしられる程の共感度。
そして、それを過剰に引き立てるつかみ役として、我らがアンチ・ヒーロー日上が再登場する。この4エピソードそれぞれで、ありとあらゆるレパートリーの嫌なヤツぶりを見せてくれるあたりは、さすがとしか形容のしようがない日上ですが、中でも出色なのは満賀が初めて職場へ現れたときのくだり。
これはもうあらゆる意味で、心底ヤナ奴です。
もうキャッチボールにもならないような剛速球をバンバン飛ばしてきます。
先ず登場場面から様子観無しのストレートど真ん中のコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻746ページより
↑あくまでも縁故にこだわってこその日上。これが無くても恐らく僻むでしょうが、あったからには当然攻める。ウィークポイントを攻撃して着実に成果を上げてこそ本物です。
それにしてもヤナ奴ってのは憎たらしいほど人のヤナ事だけは忘れないもんですが、あんなちょっとだけの邂逅にも関わらず、キチンと縁故部分は忘れない辺りも筋金入りですね。
しかも次のコマでも間断なく攻め続ける日上は凄い。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻746ページより
↑出たあ、先輩風。こういう基本的な部分もおろそかにしないから素晴らしい。「なってないねえ!」と言う口振りがすこぶるキャラクターが出ていて唸らせる。
こういう先輩風の法則が何故脈々と受け継がれているかというと、カラクリは簡単で、誰もが下の時はコレをやられ、やられたら下のモノにしなければ気が済まないと言う、腐った人間心理が働いているからですね。特に先輩後輩なんつう儒教を勘違いしきった日本の社会人システムの中では、公然と行われる出来事ですからタチが悪い。
もっとも、日上はそんなシステムなど無用だと思わせるほど単品でヤナ奴なんですけどね。弁解の余地無く。
そして、タダでさえ「楽しくない」学校生活をやっと済ませた満賀なのに、入社初日で更にそんなシステムにさらされた時の感情を見事に活写したコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻746ページより
↑擬音も何もないのに、コレ以上ないほど感情が伝わってくる逸品。汗で戸惑いと緊張をあらわしつつ、バックの効果で納得できない感情を表現。
「ど どうもひとつよろしくお願いします」
と、微妙に狂った敬語で挨拶をする満賀に、これまた見事に上機嫌になるマイナス日上がコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻746ページより
↑ムカつく! 何せ「坊や」と呼ばれる下っ端ですからね彼は。そりゃあ後輩が入ってくればしめたモノでしょう。それでも下僕へは最初の教育が大事とばかりに徹底的にやってくれる彼には頭が下がる。
年功序列という虫ずの走るようなシステムがありますが、上のモノの善し悪しは、ストレートにその下に付いた人間の人生に影響を与えます。実はこの辺りもキチンと描かれているのがまんが道社会人編の素晴らしいところなのです。
後半、日上以外は終始「いい目」にあっていると言える満賀ですので、初出勤の部分で徹底的に社会人としての辛さを描いているのは正解です。
そして、ここから凄いのは、初出勤時に「居場所がない」と言う事態をキチンと描く部分なんですが、その前振りとしての布石も踏まえたコレは圧巻。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻747ページより
↑さすが日上、粘り強いというか徹底的というか、どんな隙でも見逃さずにアタック。「フン」だって。語尾の「もんか!」も含めてヤナ奴過ぎです。
こんなヤツが居たらブルー過ぎて直ぐに退社もんですが、縁故ゆえにそれもままならない満賀。それにアルバイトじゃないですからね、やっぱりそうは簡単に辞められないんでしょうねえ。
まあ、新しい環境などもある程度は馴れでなんとかなるのも事実ですから、最初のコレを我慢すればどうにかなるものです。
ただ、その日に会社を辞める才野の判断も、彼らの立場(目的意識に立脚)してみれば正しいとも思います。
満賀の場合はこういった実体験に基づくストーリーテリングを得意とするし、スタイルとする訳ですから、これらの社会生活は肥やしにはなったでしょうね。
ヤナ事に変わりはないですけど。
「とにかくそうじを手伝えよ」
と言う比較的まともな科白を吐いて、仕事を始める日上ですが、ここでも満賀、やってくれます。極めつけのコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻748ページより
↑あらあああああ… お見事としか言いようがないシチュエーションをキチンと作り上げていくあたりは、もう根っからの生きたストーリーテラー満賀の面目躍如。読んでいる人がおおよそ考えられるバッド・イメージを、ことごとく上回る極悪な状況に自分を持っていきますからね。もう漫画にする事を念頭に生きているとしか思えないような不運ブリが泣ける。
ある種の成功者と同じように(マイナスにですが)、とにかく「間の悪い」人っているんですよ。「なにも、そこでそうならなくても」とか「ああ、やっぱりそこでそうくるか」と周りが思わずうんざりするような人って。もう先天的としか言いようがないんですが、神様に好かれていないと言うか幸運の女神の盲点にいるというか。
ただ、日上は自発的にヤナ奴ですけどね。
そして、そんなすこぶる精神状態劣悪の時に、ただただ待ちぼうけを食う満賀の感情移入100%マックスの名場面がコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻750ページより
↑もう嫌になるほど「分かる」心情表現。実際に泣いちゃう満賀を責められる人は居ないでしょうし、もし責めるような人間とは友達になりたくないですし関わりたくないですね。
エリートや、官僚や、よほどの坊ちゃんお嬢ちゃんでない限りは、誰しもが経験する初出勤の孤独感と、「本当にコレでいいんだろうか?」と言う不安感を、何の虚飾もせずに描いた名場面です。
そして、タダでさえ凹みまくりのこの状態にあって、日上がとどめとばかりにやってくれます。
茶わんを割られてしまった社員が突如激昂(まあ、怒るときは普通突然ですが)。心当たりありすぎて心臓にすこぶる良くないこのくだりですが、我らが日上は遠慮なくやってくれます。それぞコレ!
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻752ページより
↑決まった!!! 仰天吹き出しの中に、仰天効果を描くという、凄まじい仰天演出をみせてくれるに相応しい、ショック・シーンです。もうコレ以上ないほどの場面構成でドーンとやってくれますし、枠線太いし、日上指さすし、激昂社員なんて目が真っ黒! 悪夢そのものとしか言いようのない最悪の場面です。
これぞ日上。これでこそ日上ですよ。
「人間性」豊かすぎるぞ。
そして、怒ってる相手がこんな顔してたら、「最悪を絵に描いて額に入れたみたい」(by大友克洋)の極めつけ。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻756ページより
↑何故こうもハマったキャラデザインが出来るのか不思議でしょうがないんですが、A先生のヤナ奴ストックの底なしブリを垣間見るような感。こんなちょっとしたヤツまで、極めて具体的に読者に伝わるやなルックスです。しかもこの時、この状況で、もっとも効果的な科白「なんだ新入社員か」が素晴らしすぎる。
そして、次の回に引っ張った挙げ句に、この眼黒社員まで抜け目無く人間性豊かなもんだから始末が悪い。
「割った卵は戻らない」
と言う言葉を知り尽くしておいての粘り節がコレ
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻756ページより
↑「わざわざ家から持ってきた愛用の茶わん」とまで具体的に説明してなお、これほどの事を言いきる人間性社員。こういうのを大人げないというのだ。ちなみにこの眼黒社員の名前は「矢見」! やってくれますよA先生。抜け目無くバッチリ過ぎるネーミング。日上&矢見の無敵コンビはそれを言ってどうしようってんでしょうか。
しかも、ここでは更にレベル高い日上ポイントのコレも見逃せない。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第一巻756ページより
↑もうアイコンにしても良いほどです。マイ・コンピューター、マイ・ドキュメント、ごみ箱、やなヤツ、ってな感じで。まあ、このアイコンをクリックしたら、山ほどA先生の描くキャラが出てくるはずですけどね。
よくまあこんな表情描きますよ実際。相当身に覚えがあるんでしょうね。
しかもこの膠着状態に陥る場面で、助け船を出すのが縁故面接で出てきた局長。
もう、そんなコトしたらますます満賀の立場が悪くなること必至なんですが、それも含めてとにかく後味の悪いままこの場面は終わります。
そして、局長と来たら
「あのな満賀くん 勤めってものはつらいもんだよ!」
とグサリと言ってくれます。
この後1ページ強に渡って、会社勤めの現実的認識を一言一句胸に突き刺さるように蕩々と語る局長が素晴らしいです。もう社会人一年生の人はこういう不条理な現実的人間関係を堪え忍ぶ必要がある訳なんでしょうが、ハッキリ言ってそんなの人生の浪費だし無駄な社交なんですよね。
ただ、それに耐えるのも月給の内であると、不条理の極めつけなんですが、契約書に書いていない大前提として局長は言い切る。
まんが道は学生生活編や、ここから始まる社会人編を丁寧にじっくり描くことで、後半の「トキワ荘編」への期待と開放に読者を見事に導くんです。だからこそカタルシスがあるんですよね。
トキワ荘編でのトラブルや困難は、総て自分たちの目的のためのモノである訳ですから、不条理じゃないですよね。
ただ、前半のこれらの障壁は、不条理極まるモノでしか無いわけですが、それでも現実に存在するそれらを無視せずキチンと描ききる事で見事に物語として機能していると言えますね。
しかし、繰り返しますが、日上はヤナ奴ですし、居る必要のない人間ですけどね。
まあ、笑えるからいいんですが、武藤にくらべりゃ。
ではでは。
『愛蔵版まんが道』(中央公論社)第三巻1016ページより
↑武藤、おまえだけは絶対に許さない。