本当に面白い『中年スーパーマン左江内氏』の魅力!
とにかくF汁濃度100%
最初の出会いは中公のSF全短編3巻「征地球論」に収録されているのを読んだとき。
短編だらけの中で突然連作とも言える長さで(まあ、あの本の分厚さに較べれば微々たる量なんですが)、グイグイ読んだのを覚えている。
その本が手元から無くなっても衝動的に読みたくなったので、FFランド版の全一冊を近くの本屋さんで購入。(思えばFFランドはどの本屋さんでも売れ残っていた…トホホ)
そして、その一冊も何故か無くなり、気付いてみたらFFランドも全短編の3巻も(何故か3巻のみ)絶版になっていたので読めなくなってしまった。
読めなくなったら読みたくなるのが心情。
なので、yahooオークションなどを探してはいたが、割と良い値段が付いていたので踏ん切りが付かないままだった。ついこの間まで。
ところが、古本屋さんで元祖単行本である双葉社版が結構おやすい値段で売っていたのを発見。中公版よりも2話ほど多いのだから即購入!(再度『制地球論』を読み返してみると全話ちゃんと収録されていました。お詫びして訂正いたします)
そして、そのあまりにも面白く、あまりにもF汁が濃縮還元されているこの大傑作マンガを再読して、再びとりこになってしまいました。
と言うわけで、緊急特集として、「中年スーパーマン左江内氏」の魅力を、個人的嗜好に従ってお送りしたいと思います。
さて、このマンガの魅力はズバリFマンガの骨格をなす「日常の中の非日常」の極めつけも言える設定と、青年向け雑誌掲載ゆえの油断→異色節のテイストがあまりにも抜群にぶち込まれている点である(あくまで個人的見解)。
ノリにのって、思わず高速道路を限界速度でぶっ飛ばしている状態のF氏が、時期的にもかなり脂がのりまくっている頃を良いことに、強烈な完成度で描き切っています。なんせちゃんと最終回があるんですから。
先ず第一話の「スーパーマン襲名」からして絶好調の滑り出し。
あまりにもうらぶれたグラサンの中年につきまとわれる左江内氏が、突如彼から大袈裟に
「あたしゃスーパーマンです」
とカマされますが、次のページをめくるや抜群のコレ
「エスパー魔美」で高畑さんが「自分がエスパーなのでは?」と勘違いさせる展開を用意して、読者の視点をスムーズにかつ入念に作品世界へ誘う作劇方をみせてくれたF氏だが、ここではF氏入魂の「間」でがっちりと掴んでくれる。
ここからの「巧い」としか言いようのない納得力溢れる展開は見事の一言で、有名な
「はやい話あんたら二人とも酒の上の冗談としかきいてないだろ」
と言う極めてリアリティのあるセリフを混ぜ合わせてあくまでも、先代スーパーマンが左江内氏にその存在を信じさせるやり方が、そのまま読者を作品世界へ巧妙に誘い込むやり方にスライド。
これぞ「日常の中の非日常」的演出の白眉でしょう。
しかも笑える。
F氏の感情移入法の最たるモノは願望充足のリアリティである。ドラえもんの道具はどれもこれも欲しいモノだし、どれもこれもこれがあったらこうするよなあと言う(一応のブレーキはあるが)リアリティのある行動だ。
そういう極めて共鳴度の高い行動や言動を登場人物がするから、F作品はどれもこれも面白くて普遍的なのだ。それの延長線上に「夢やロマン」と言うモノが成り立つわけだ。特にドラえもんは知名度が有りすぎるのと作品のイメージ戦略においてここら辺が取り違えられているのが残念なのだが、この作品にはそれほどの知名度がないしそんなものが出る前に終わっているので全編にそんな束縛がまるで垣間見られない。
であるからしてコレ
正直ドラえもんの成功の一つの要因として、のび太がメガネをかけていると言う点があると思っている。
それぐらいメガネというのはキャラクター描写において重要な意味を持つ。メガネをかけている限り、F氏のキャラは決して日常から外れはしない。
それにしても冷静に考えれば格好悪すぎるスーパーマンのタイツ姿とマントが、このメガネによってより強調されるこの純粋な面白さ。
その日常に依るスーパーマンの面白さを、ありとあらゆる手段でギャグにするF氏には圧倒されるほどだが、その中でも猛烈に好きなのがコレ
しかも、この後にくる忘却光線ネタも外せない。
この後もう一コマつかってまだ説明を続けながら後ろ姿で走っていく左江内氏もたまらない面白さなので必見。
そして、願望充足の観点から観てみると、サラリーマンがこの服の能力を手に入れたら最低限コレはする、週刊誌を読みながらの通勤!
更に青年向けだからこそ許されるF氏のエロ魂。男として中年として、ここ一番でバッチリかましてくれる左江内氏に喝采すら送りたいほどのネタ続出。
さあ、一挙公開。
これなくして何が中年スーパーマンか!
先ずは同僚のちょっと可愛子ちゃんへの妄想が笑いを呼ぶセクハラ左江内氏が堪能できる第二話から(いきなり二話目からですよ)コレ
だが、ここはまだ二話目。まだF氏にしてみても照れがある。腕で大事なところはしっかりサポーティング。むううん…。まだ自分がドラえもんの作者であることを意識している節有り…ってドラえもんでもしずちゃんをありとあらゆる手で裸にしているのですから言えた義理じゃないんですが。
ところが第七話!!! 遂に自分がエスパー魔美も描いている事を思い出したF氏のタガは外れた。
さあコレ
「よくぞスーパーマンにナリにけり!!」
と山岡たちなら絶叫していること疑いなし。
そして、実は三話目でも着実にエロへの道は順調に進んでいた証拠がコレ
更にコレを観た左江内氏の絶品の反応がコレ
続いてベタ処理で更に度肝抜くほど驚く描写があるのだが、それは本編でのお楽しみ。
さすが青年向け!
ところが、青年向けであることをキチンと現実的な事にも向けるのが、F氏の流儀。
ヤバさではかなりトップレベルに位置する異色中の異色短編「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」などに代表される、「超人力の使い道を誤ったとしたら…」テーマがソレ。
左江内氏でもキチンとそれは描かれるが、そこはソレ青年向けなので、問答無用のコレ
そしてとどめのセリフ
「しかもわしはたしかに……暴力の快感に酔っていた!」
この話かなり煮えきれない(物語的には丸く収まるが)幕切れも含めて、この作品の持つギャグとダークの境界線をまざまざと読者に見せつける問題作。上記一連のリンチ描写は本当に壮絶なので必読(擬音も含めて)。
「パーマン」や「エスパー魔美」でも描かれる、「なりたくて超人力持ったんじゃない」と言う至極まっとうな感情も左江内氏では直接的に描かれる。上の暴力描写へと続く感情吐露がコレ
そして、そういった中でも十一話の「あなたこそ正義のみかた」は、異色短編でもしょっちゅう描かれる、偏執狂的な正義漢が巻き起こす現実的すぎるイタい話だ。
平積みの雑誌の上にカバンを置く阿呆はこの世に結構居るが、それに激怒するのはいいが如何せん喧嘩が弱い人がメイン。この人の言う事が誠に正論ではあるが度が過ぎているのが何ともリアル。この人の理屈でもって自分の憤懣を正当化しているあたりが強烈に現実味が有るんですね。
しかも言ってることは間違いじゃないと言うこの微妙さに左江内氏は裸足で逃げ出す。
この手の人は自分の中の怒りのやり場をそういう部分に向けている事で緩和させている訳ですが、「カイケツ小池さん」でも頭がおかしくなりそうな程イタイタしい「投書マニア」の小池さんを描いているF氏ですから、こういったキャラは実は十八番。
この人がなんとこうなるというのも異色短編に親しんでいる人なら納得のコレ
小さな吹き出しで「やるぞ!!」ってわざわざ分けるところもただならぬモノを感じさせて素晴らしいです。
この話の顛末と、何故こうなったのかという抜群すぎるストーリーテリングは是非本編でお楽しみ頂きたい(ただ、手に入れにくいのがオバQ同様痛い…)。
そしてこの後、どんどんダークサイドに支配されていく物語に危機感を抱いたのかどうかは分かりませんが、哀しくてほろ苦くて感動的な最終回を迎えます。
全一冊ですが、物語のレパートリーの多さや、ギャグの質の高さや、それぞれの話のテーマのさばき方など、どれをとっても見事な作品です。
まさに作家F氏のピークとも言える作品群の一つだと思います。
最後に読んでいてとにかく胸がグっと痛くなるコレ
ただ、この後に待っている物悲しいが感動的な展開は是非読んでいただきたいです。それにしてもスーパーマンを前にしてこれだけ理路整然と言い負かすこの母親像は、かなりフラストレーションが溜まりますが、このリアリティこそがこの作品の核なのです。
まあ、もっともどうも堅苦しいことばかりを取り上げてきましたが、そこはそれ、F氏の作品なので兎に角楽しめる事は保証付きです。そしてその楽しさは他では味わえないF作品ならではのモノなのです。
そして、その面白さは脈々とFキャラたちに流れていくのです。
その確固たる証拠がこの人
【2017年1月16日追記】
先日から放送の始まったテレビドラマ「スーパーサラリーマン左江内氏」を観てしまい。なんともモヤモヤが治まらず勢いに任せて再度アップしました。
原作と映像化作品は別物ですからとやかく言うことではないんですが、お願いですから少しでも興味を持った方がF先生の原作を読んでいただけたらと。